ウェルビーイングは、人的資本経営を進めるうえで、人材が継続的に力を発揮できる状態を考える重要な視点の一つです。人材育成や配置、エンゲージメント向上へ投資しても、過度な業務負荷や人間関係の問題によって従業員が十分に力を発揮できなければ、人材への投資を中長期的な企業価値へつなげにくくなります。
一方で、ウェルビーイングを高めるために、福利厚生や健康施策を増やせばよいわけではありません。離職、業務負荷、人間関係、キャリアへの不安など、従業員が力を発揮できない要因は企業や職種によって異なります。大切なのは、「ウェルビーイングのために何をするか」から考えるのではなく、自社の人材課題を特定し、改善したい状態から必要な施策を選ぶことです。
本記事では、人的資本経営とウェルビーイングの関係を踏まえ、自社の課題に応じて施策を選び、KPIを設定して実行・検証する流れを整理します。課題、施策、指標を一つにつなげることで、ウェルビーイングを単発の福利厚生ではなく、人的資本経営の実践として扱いやすくなります。
人的資本経営とウェルビーイングは、同じ意味ではありません。人的資本経営は、人材を企業の資本として捉え、その価値を中長期的な企業価値につなげていく経営の考え方です。ウェルビーイングは、その中で従業員が心身ともに良好な状態で働き、持っている力を発揮し続けるための土台として位置づけられます。
両者の関係を整理する際は、健康経営や従業員エンゲージメントとの違いも押さえておくと、自社で何を改善すべきか判断しやすくなります。
経済産業省「人的資本経営~人材の価値を最大限に引き出す~」では、人的資本経営を、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方としています。そのため、採用や研修だけを個別に実施するのではなく、経営戦略に必要な人材や能力を整理し、配置や育成、働く環境などを含めて人材への取り組みを考えます。
例えば、新規事業を拡大したい企業であれば、必要な専門人材を採用するだけでは十分とは限りません。既存従業員が新しい業務を学べる環境を整える、社内で経験を共有する、適した部署へ配置するといった取り組みも、人材の価値を生かすための選択肢になります。
人的資本経営では、人材施策そのものではなく、経営上の課題と人材への取り組みがどのようにつながっているかを確認することが大切です。
人材へ多く投資していても、経営戦略と関係の薄い研修や制度が増えていれば、何のための施策なのか判断しにくくなります。まずは企業が今後どのような事業や組織を目指すのかを明らかにし、その実現に必要な人材の状態から施策を考えます。
従業員が知識やスキルを持っていても、心身の不調や過度な業務負荷、人間関係への不安などを抱えていれば、持っている力を十分に発揮しにくくなることがあります。人的資本経営で人材への投資を考える際には、能力を身につけてもらう施策だけでなく、その能力を発揮し続けられる環境にも目を向ける必要があります。
ウェルビーイングは身体的な健康だけを指すものではありません。働き方や職場の人間関係、仕事を通じた成長なども、従業員がどのような状態で働けているかを考えるうえで関係します。
さらに、早稲田大学の森永雄太氏による「人的資本経営:戦略的人的資源管理論とウェルビーイング視点からの考察」では、戦略的人的資源管理の課題を補完する知見として、ウェルビーイング志向の人的資源管理に関する研究が整理されています。
人的資本経営におけるウェルビーイングは、人材への投資を従業員の継続的な活躍につなげるために確認する要素の一つです。
ただし、ウェルビーイングの向上だけを目的に施策を増やせばよいわけではありません。従業員が抱える課題は企業や職種によって異なるため、業務負荷に問題があるのか、人間関係やキャリアに課題があるのかを把握したうえで、取り組む内容を決めます。
人的資本経営やウェルビーイングとあわせて、健康経営や従業員エンゲージメントが語られることがあります。これらは関連する概念ですが、同じものとして扱うと、施策の目的や確認すべき指標が曖昧になります。
本記事では、それぞれの違いを分かりやすくするため、次のように整理します。
概念 | 本記事での捉え方 | 主に確認すること |
人的資本経営 | 人材の価値を企業価値につなげる経営の考え方 | 経営戦略と人材戦略がつながっているか |
ウェルビーイング | 従業員が良好な状態で働き、力を発揮するための土台 | 心身の状態、働き方、人間関係、成長など |
健康経営 | 従業員の健康管理を経営的な視点で考える取り組み | 健康状態や健康を支える職場環境 |
従業員エンゲージメント | 従業員と仕事・組織との関係性を捉える考え方 | 仕事や組織への関わり方、働く意欲など |
人的資本経営を進めるうえでは、これらの中から一つを選ぶのではなく、自社の課題に応じてそれぞれの視点を使い分けます。
例えば、健康上の課題が大きい企業と、仕事への意欲や組織との関係に課題がある企業では、優先する取り組みが同じとは限りません。自社の人材課題を確認し、その課題に対してどの視点から施策を考えるべきかを整理することが、人的資本経営へウェルビーイングを組み込む第一歩になります。
人的資本経営では、採用や研修へ投資するだけでなく、従業員が身につけた知識や経験を仕事の中で生かし続けられる環境まで考えることが欠かせません。どれだけ人材育成に力を入れても、業務負荷が高すぎたり、職場の人間関係に課題を抱えていたりすれば、従業員は本来の力を発揮しにくくなります。こうした人材への投資と実際の働く環境を結び付けて考えるうえで、ウェルビーイングの視点が役立ちます。
研修やリスキリングは、従業員が新しい知識やスキルを身につける機会になります。しかし、学んだ内容を使う仕事が用意されていなければ、研修を受けただけで終わってしまいます。
例えば、新しい業務を任せるために研修を行ったのであれば、その後に実務を経験できる仕事を任せたり、分からないことを上司へ相談できる環境を整えたりするところまで考えます。反対に、日々の業務で余裕がない従業員へ研修だけを追加すると、学習そのものが新たな負担になりかねません。
人材への投資を生かすには、「何を学んでもらうか」だけでなく、「学んだことを仕事で使える状態か」まで確認する必要があります。
そのため、研修の受講率だけを見て施策の成果を判断するのではなく、受講後にどのような仕事を任せたのか、必要な支援を受けられているのかまで追っていくことが大切です。人的資本経営では、人材育成と働く環境を別々の施策として扱わず、両者をつなげて考えます。
従業員が会社で働き続けるかどうかは、給与や福利厚生だけで決まるものではありません。仕事量、上司や同僚との関係、成長の実感、今後のキャリアなども、働き続けるうえでの判断に影響します。
こうした要因は、離職率や残業時間といった数値だけでは見えないこともあります。残業時間に大きな問題がなくても、一部の従業員に難しい業務が集中していたり、将来のキャリアが見えないことに不安を感じていたりするケースも考えられます。そこで、サーベイや面談などを通じて、従業員が実際にどのような状態で働いているのかを確認します。
離職や定着の課題を考えるときは、結果として表れた離職率だけでなく、その手前で従業員が何につまずいているのかを見ることが大切です。
もちろん、ウェルビーイング施策だけですべての離職要因を解消できるわけではありません。処遇や人員配置、評価制度、仕事内容そのものに原因があるケースもあるため、従業員の声と人事データを照らし合わせながら、どこに課題があるのかを見極めます。
企業が新規事業の拡大や事業成長を目指していても、それを担う従業員の働く環境が整っていなければ、計画どおりには進みません。必要な人材が足りない、日常業務に追われて新しい仕事へ手を回せない、部署間の連携が進まないといった現場の状態が、経営戦略の実行を妨げることもあります。
こうした経営側の目標と現場の状態のずれを確認する際に、ウェルビーイングの視点が使えます。
例えば、新規事業を伸ばしたいのであれば、必要なスキルを持つ人材がいるかだけでなく、新しい業務へ取り組む余裕があるか、周囲から支援を受けられるかまで見ていきます。管理職の育成を進める企業であれば、本人の能力だけでなく、部下との関係や業務負荷、学ぶ機会も確認対象になります。
このように、経営戦略によって確認すべき人材の状態は変わります。まずは自社がどの経営課題を解決したいのかを整理し、その実行を支える従業員がどのような状態にあるのかを見ることで、優先すべきウェルビーイング施策も絞り込みやすくなります。
ウェルビーイング施策は、福利厚生を増やすことから考えるのではなく、自社でどのような人材課題が起きているかを起点に選びます。心身の不調、業務負荷、人間関係、キャリアへの不安では、必要となる対応が異なるためです。まず従業員の状態を把握し、課題が生じている背景を確認したうえで、改善したい状態に合う施策を検討します。
人材課題と施策の関係を整理すると、次のようになります。
人材課題 | 確認する状態・情報 | 施策例 | 確認する指標の例 |
心身の不調が見られる | 健康状態、休職・欠勤、ストレスの状況 | 健康相談、ストレスチェック、休暇制度 | 利用状況、欠勤・休職の推移 |
業務負荷が偏っている | 労働時間、業務量、担当範囲 | 業務分担の見直し、柔軟な働き方 | 労働時間、業務量、本人の負担感 |
人間関係に課題がある | 上司・同僚との関係、相談のしやすさ | 1on1、対話機会、称賛の仕組み | 面談状況、従業員の認識 |
成長やキャリアに不安がある | 希望する仕事、学習機会、将来像 | キャリア面談、研修、配置の見直し | 面談状況、研修後の活用状況 |
貢献が認められていない | 承認の機会、職場内のコミュニケーション | サンクスカード、表彰、行動事例の共有 | 制度の利用状況、従業員の認識 |
表に挙げた施策は、一つの課題に対する唯一の対応ではありません。同じ「人間関係への不満」でも、上司との対話不足と部署間の連携不足では、見直す内容が変わります。施策を決める前に、自社では何が原因になっているのかを確認することが前提です。
体調不良や強いストレスが続けば、従業員が本来持っている知識や経験を仕事で生かし続けることは難しくなります。そこで、健康診断や相談窓口、ストレスチェック、休暇制度などを通じて、従業員が自身の状態を確認し、必要な支援につながれる環境を整えます。
ストレスチェック制度については、2026年8月時点では労働者数50人以上の事業場で実施義務があり、50人未満の事業場は努力義務です。一方、2025年の労働安全衛生法改正により、厚生労働省「ストレスチェック制度について(労働者数50人未満の事業場)」で示されているとおり、2028年4月1日からは50人未満の事業場にも実施が義務付けられます。
ただし、健康施策を用意するだけでは、職場側の課題まで解消できないことがあります。例えば、特定の担当者へ業務が集中している状態で相談窓口だけを設けても、本人の負担そのものは残ります。
心身の健康に関する施策は、従業員本人への支援と、負担を生んでいる業務や職場環境の見直しを分けて考えます。
利用状況を確認する際も、「相談件数が増えたから状態が悪化した」と単純に判断しないよう注意が必要です。相談窓口が知られるようになり、従業員が利用しやすくなった結果として件数が増えるケースも考えられるため、欠勤や休職、面談内容など複数の情報から状況を捉えます。
従業員の負担が高まっているときは、働く時間だけでなく、誰にどの仕事が集中しているかまで確認します。残業時間が同程度でも、判断の難しい業務や緊急対応を一人で抱えている従業員と、複数人で分担できている従業員では負担感が異なるからです。
こうした状況では、担当業務の分担を変える、不要な業務を減らす、勤務時間や勤務場所の選択肢を設けるといった対応が考えられます。柔軟な働き方を導入する場合も、制度そのものを目的にせず、どの課題を軽減するために使うのかを先に決めます。
働き方を見直す際は、制度を増やす前に「どの業務で、誰に、どのような負担が生じているか」を把握することが出発点です。
一方、勤務場所や時間を柔軟にできない職種もあります。店舗、工場、物流など現場での勤務が必要な場合は、シフトの組み方、休憩の取り方、業務分担、応援体制など、その職場で変更できる範囲から検討します。
仕事上の悩みや困りごとを相談できない状態が続くと、小さな問題が共有されないまま大きくなることがあります。特に、上司と部下の接点が業務指示だけになっている職場では、本人の負担やキャリアへの不安を把握する機会が限られます。
そこで、1on1などの定期的な対話を設け、日々の業務だけでは拾いにくい状況を確認します。ただし、面談の回数を増やすだけでは十分ではありません。上司が進捗確認だけを行ったり、本人が話した内容が評価へ直結すると感じたりすれば、率直な対話は生まれにくくなります。
人間関係を改善する施策では、接点の数だけでなく、従業員が相談や意見を伝えやすい関係になっているかを見る必要があります。
部署をまたぐ連携に課題がある場合は、上司と部下の対話だけでは解決しません。部門横断のミーティングや情報共有の方法など、問題が起きている関係に合わせて施策を変えます。
現在の仕事に大きな不満がなくても、今後どのような経験を積めるのか分からない状態が続けば、将来への不安につながることがあります。人的資本経営の観点では、企業が必要とする人材を育てることと、従業員本人が望むキャリアをすり合わせながら施策を考えます。
研修だけでなく、キャリア面談、社内公募、異動、プロジェクトへの参加なども成長機会になります。例えば、管理職候補を育てたいのであれば、研修を受けてもらうだけでなく、チーム運営や予算管理など、将来の役割につながる仕事を段階的に任せる方法も考えられます。
成長支援では、学ぶ機会を用意することより、本人が身につけた知識や経験を次の仕事へどう生かせるかまで設計することが大切です。
企業側の育成方針と本人の希望が一致するとは限りません。面談を通じて希望を確認し、すべてを反映できない場合も、なぜその経験を求めるのか、今後どのような役割につながるのかを共有します。
日々の仕事では、売上や目標達成のように数字で表れる結果だけが評価の対象になりがちです。しかし、周囲への支援、業務改善への協力、企業が大切にする考え方に沿った行動など、成果につながる過程には数値だけでは捉えにくい貢献もあります。
こうした行動を見えるようにする方法として、サンクスカードや表彰、社内での行動事例の共有などが考えられます。上司だけが評価するのではなく、従業員同士が日常の貢献を伝え合える仕組みをつくれば、普段は見えにくい行動を知る機会にもなります。
称賛の仕組みは、制度を利用した回数を増やすことではなく、どのような行動を互いに認め合う職場にしたいのかを共有して運用します。
ただし、利用を強制したり、投稿数だけを競わせたりすると、本来の目的から離れるおそれがあります。制度の利用状況だけで成果を判断せず、どのような内容が共有されているか、従業員が負担なく参加できているかまで確認しながら見直していきます。
ウェルビーイング施策は、実施すること自体を目的にすると、人材課題とのつながりが見えにくくなります。まず経営上の課題と人材の状態を整理し、何を改善したいのかを明確にしたうえで、施策とKPIを決める流れが必要です。その後も実施して終わりにせず、従業員の変化を確認しながら施策を見直していきます。
全体の流れは、次の5ステップで整理できます。
ステップ | 主に行うこと | この段階で決めること |
1 | 経営課題と人材課題を整理する | 何のために取り組むか |
2 | 従業員の状態を把握する | どこに課題が生じているか |
3 | 優先課題とKPIを決める | 何を、どの指標で改善するか |
4 | ウェルビーイング施策を実行する | 誰が、いつ、どのように進めるか |
5 | 効果を検証して施策を見直す | 続ける施策と修正する施策 |
この順番に沿うことで、「他社が実施しているから」という理由だけで制度を増やすのではなく、自社の課題に合った施策を選びやすくなります。
最初に確認するのは、「ウェルビーイングを高めること」ではなく、企業として何を改善したいのかです。人材不足への対応、管理職の育成、離職への対策、新規事業を担う人材の育成など、経営上の課題によって確認すべき人材の状態は変わります。
例えば、事業拡大に必要な人材が育っていないのであれば、研修の有無だけを見るのではなく、従業員が新しい仕事へ挑戦できる余裕があるか、上司から支援を受けられているかまで確認する必要があります。離職が続いている場合も、給与や福利厚生だけを原因と決めつけず、業務負荷、人間関係、キャリアへの不安などに目を向けます。
最初に「どの経営課題を解決するために、どのような人材の状態を目指すのか」を決めることで、その後の施策を選ぶ基準ができます。
経営課題が複数ある場合は、すべてを同時に扱わず、事業への影響や緊急度から優先順位を付けます。目的が広すぎると、施策もKPIも増え、何が改善したのか判断しづらくなるためです。
取り組む目的が決まったら、従業員が実際にどのような状態で働いているのかを確認します。経営側が感じている課題と、従業員が感じている負担が一致するとは限りません。
把握には、サーベイや面談だけでなく、勤怠、休職・離職、人事評価、制度の利用状況など、すでに社内にある情報も使えます。例えば、「働きやすさ」に関するサーベイ結果が低かった場合、その数値だけでは原因までは分かりません。部署別の労働時間や面談内容と照らし合わせることで、業務量に問題があるのか、上司との関係に課題があるのかを絞り込みやすくなります。
従業員の状態を把握するときは、一つの数値だけで原因を決めず、複数の情報を組み合わせて見ることが大切です。
また、全社平均だけを見ると、一部の部署や職種で起きている課題を見落とすことがあります。必要に応じて部署、拠点、職種などに分けて確認し、どこで課題が強く表れているのかを捉えます。
従業員の状態が見えてきたら、すべての課題へ同時に対応するのではなく、優先して改善するテーマを絞ります。その際、施策を始める前に「何が変われば改善したと判断するのか」も決めておきます。
例えば、部署内の対話不足を課題として1on1を始める場合、実施回数だけをKPIにすると、面談を行うこと自体が目的になりかねません。実施状況に加えて、従業員が相談しやすくなったか、業務上の困りごとを早い段階で共有できているかなど、目指す状態に近い指標も検討します。
KPIは施策の回数だけでなく、改善したい従業員の状態と結び付けて設定します。
ただし、離職率や業績など経営に近い指標は、ウェルビーイング施策以外の影響も受けます。施策の利用状況、従業員の状態、人材に関する成果を段階的に確認し、一つの施策だけの成果として断定しないようにします。
施策が決まった後は、対象者、実施時期、担当者、従業員への伝え方まで具体化します。制度を用意しても、何のために行うのかが伝わっていなければ、利用されなかったり、形式的な参加にとどまったりします。
例えば、サンクスカードを導入する場合、「感謝を送り合いましょう」と案内するだけではなく、日常のどのような行動を互いに認めたいのかまで共有すると、制度の目的が伝わりやすくなります。1on1であれば、上司ごとに進め方が大きく異ならないよう、面談の目的や扱うテーマをあらかじめ確認しておく方法もあります。
施策の実行では、制度を用意することより、従業員が目的を理解し、日常の中で利用できる状態をつくることが欠かせません。
一度に全社へ広げる必要がない施策なら、特定の部署や拠点から試し、運用上の問題を確認してから対象を広げる方法も考えられます。現場で無理なく続けられるかを確かめながら進めることで、導入後の見直しもしやすくなります。
施策を始めた後は、実施前に設定したKPIと実際の変化を比べます。利用率が低ければ制度そのものが不要とは限らず、周知方法や利用条件に問題があるかもしれません。反対に、利用率が高くても従業員の状態が変わっていなければ、施策の内容や対象を見直す必要があります。
そこで、制度の利用状況だけでなく、サーベイや面談、人事データなども確認し、「利用されているか」「従業員の状態が変わったか」「当初の人材課題に変化が見られるか」を分けて振り返ります。
効果検証では、施策を続けるかやめるかだけでなく、対象・内容・運用方法のどこを変えるべきかまで判断します。
経営課題や従業員の状態は時間とともに変化します。当初の課題が改善した場合は、同じ施策を続けることにこだわらず、次に優先すべき課題を見直します。このサイクルを繰り返すことで、ウェルビーイング施策を人的資本経営の中で継続的に扱いやすくなります。
ウェルビーイング施策の効果を確認するには、従業員の状態だけを見るのではなく、施策が実際に使われ、その後に人材面でどのような変化が起きたのかまで段階を分けて捉えます。利用率だけでは「使われたこと」しか分からず、離職率や業績だけでは施策との関係を判断しにくいためです。本記事では、指標を「従業員の状態」「施策の利用状況」「人的資本の成果」「経営指標」の4段階に整理します。
指標の段階 | 確認すること | 指標の例 | 判断するときの注意点 |
従業員の状態 | 働く人がどのような状態にあるか | 心身の状態、負担感、相談のしやすさ、成長実感 | 数値だけで原因を決めない |
施策の利用状況 | 施策が現場で使われているか | 参加率、利用率、1on1実施状況 | 利用率の高さを成果と同一視しない |
人的資本の成果 | 人材面でどのような変化が出ているか | 離職・欠勤の状況、配置後の定着、育成状況 | 他の人事施策の影響も受ける |
経営指標 | 人材面の変化と事業の状態に関係があるか | 生産性、売上、顧客に関する指標など | ウェルビーイング施策だけの効果と断定しない |
一つの指標で結論を出すのではなく、この流れを追うことで「施策は使われているが従業員の状態が変わっていない」「状態は改善しているが人材面の成果にはまだ表れていない」といった違いを切り分けやすくなります。
最初に見るのは、施策を受ける従業員がどのような状態で働いているかです。業務負荷を見直したいのであれば負担感や働き方、職場の関係を改善したいのであれば相談のしやすさや周囲との関係など、解決したい課題に近い項目を選びます。
例えば、「働きやすさ」という大きな項目だけを測っても、数値が低い理由までは分かりません。仕事量への負担なのか、上司との関係なのか、将来のキャリアへの不安なのかを分けて確認すると、次に見直す対象を絞り込みやすくなります。
従業員の状態を測る指標は、数を多くするよりも、最初に設定した人材課題と結び付いているかを基準に選びます。
また、全社平均だけでは部署や職種ごとの差が見えにくくなります。必要に応じて組織単位で確認し、数値に差が出ている場合は、面談などを通じて背景を確かめます。
従業員の状態に変化が見られないとき、施策の内容を見直す前に、その施策が実際に使われているかを確認します。制度の存在を知らない、利用方法が分かりにくい、業務中に使う時間が取れないといった理由で、そもそも現場へ定着していないケースも考えられるためです。
1on1であれば実施状況、研修なら参加状況、サンクスカードなら利用状況などが確認材料になります。ただし、「実施率100%」になったとしても、それだけで目的を達成したとはいえません。面談が単なる進捗確認になっていたり、制度の利用が形式的になっていたりすれば、従業員の状態にはつながりにくいからです。
利用状況を示すKPIは、施策が現場まで届いているかを確認する途中の指標として扱います。
利用が伸びていない場合は、施策自体をやめる前に、対象者、案内方法、利用手順、実施する時間などを見直します。反対に、十分使われているのに状態が変わらなければ、施策内容そのものが課題に合っているかを再検討する段階です。
施策が利用され、従業員の状態にも変化が見え始めたら、その変化が人材面の課題にどう表れているかを確認します。離職や欠勤、育成、配置後の定着など、最初に設定した経営課題・人材課題に近い指標へ視点を移していきます。
例えば、若手社員のキャリア不安を課題として面談や育成施策を行った場合、面談回数だけでなく、本人が成長を実感できているか、必要な経験を積めているか、その後の定着状況にどのような変化が見られるかを追います。ここまで確認することで、施策を行った事実と、人材面で起きた変化を分けて捉えられます。
人的資本の成果を見る段階では、「施策を実施したか」から「人材課題に変化が出たか」へ評価の軸を移します。
ただし、離職率や欠勤率などは一つの施策だけで決まるものではありません。処遇、人員配置、評価制度、上司のマネジメントなど複数の要因が重なるため、数字が動いた理由をウェルビーイング施策だけに結び付けないことが前提です。
人的資本経営では、人材への取り組みを最終的に経営上の課題と切り離さずに見ていきます。そのため、人材面で一定の変化が確認できた後は、生産性や売上など、自社が最初に設定した経営指標との関係も確認します。
ここで注意したいのは、「ウェルビーイングの数値が上がったから業績が上がった」と単純につなげないことです。事業環境、商品・サービスの競争力、営業施策、市場の変化など、経営指標には人材以外の要因も影響します。
経営指標を見る目的は、ウェルビーイング施策の成果を直接証明することではなく、人材の状態や人的資本の成果と事業の変化にどのような関係があるかを継続して検証することです。
例えば、従業員の負担感が改善し、欠勤の状況にも変化が見られた部署で、業務の進み方にどのような変化があったかを確認します。こうして「施策→利用→従業員の状態→人的資本の成果→経営指標」の順に追うことで、どの段階で変化が止まっているのかを見極め、次に見直すべき施策を判断しやすくなります。
ウェルビーイング施策を導入しても、目的が曖昧なまま制度だけが残ると、従業員に使われなくなったり、実施すること自体が目的になったりします。特に起こりやすいのは、福利厚生の充実だけに目が向く、経営課題とのつながりが見えない、現場を巻き込めない、測定後の改善が止まるケースです。施策の効果が見えないときは、新しい制度を追加する前に、どこで運用が止まっているのかを確認します。
従業員のウェルビーイングを高めようとすると、休暇制度や健康支援、社内イベントなど、導入しやすい施策へ目が向きやすくなります。しかし、もともとの人材課題と関係なく制度を増やしても、利用されなかったり、利用されても課題の改善につながらなかったりします。
例えば、従業員の負担感が高い原因が業務量の偏りにあるにもかかわらず、新しい福利厚生だけを追加しても、日々の働き方は変わりません。反対に、休暇を取得しにくいことが課題なら、制度の新設よりも、既存制度を使いにくくしている業務体制や職場の雰囲気を見直す方が先になることもあります。
施策を選ぶときは、「何を導入するか」ではなく、「どの人材課題をどの状態へ変えたいのか」から考えます。
すでに福利厚生が充実している企業ほど、制度の数を増やす前に利用状況や従業員の声を確認すると、次に手を入れるべき部分を見つけやすくなります。
施策の目的が「ウェルビーイング向上」のままでは、経営層や現場にとって、なぜ取り組む必要があるのかが伝わりにくくなります。人的資本経営に組み込むのであれば、人材不足、育成、定着、組織内の連携など、自社が抱える課題との関係を明確にします。
例えば、管理職の育成を経営課題としている企業が1on1を導入するなら、単に面談回数を増やすのではなく、部下の状況を把握し、成長を支援できる管理職を増やすという目的まで共有します。目的が明確になれば、面談内容や評価する指標も決めやすくなります。
経営課題とのつながりが見えない施策は、従業員だけでなく、運用する管理職にとっても「なぜ続けるのか」が分からなくなりやすいものです。
施策を企画する段階で、経営上の課題、人材の課題、目指す状態、実施する施策を一続きで確認しておくと、実施後に何を評価すべきかも明確になります。
人事部が施策を設計しても、実際に利用する従業員や運用を担う管理職が目的を理解していなければ、現場には定着しません。特に1on1や称賛制度のように、日常業務の中で継続して使う施策は、制度を案内するだけでは動きにくい傾向があります。
例えば、管理職に1on1の実施だけを求めると、「何を話せばよいのか分からない」「通常業務が忙しく後回しになる」といった状態になりかねません。そこで、面談の目的や基本的な進め方を共有したうえで、現場から出た困りごとを人事側が拾い、運用方法を調整していきます。
現場を巻き込むには、協力を求めるだけでなく、現場が実際に運用できる形になっているかを確認する必要があります。
全社で同じ運用を求めることが難しい場合は、部署や職種ごとに実施方法を調整することも選択肢です。施策の目的は共通にしつつ、現場の働き方に合わせて参加方法を変えることで、無理なく続けやすくなります。
サーベイやアンケートを実施しても、結果を確認しただけで次の行動につながらなければ、測定そのものが形骸化します。従業員から見ても、回答しているのに職場が変わらない状態が続けば、次第に調査へ協力する意味を感じにくくなります。
数値が下がった項目を見つけたら、すぐに新しい施策を追加するのではなく、まず背景を確認します。例えば「上司へ相談しにくい」という結果が出た場合、1on1の有無だけを見るのではなく、実施頻度や面談内容、部署ごとの差などを確認すると、改善する場所を絞り込みやすくなります。
測定は結果を報告するためではなく、次に何を変えるかを決めるところまで進めて初めて施策改善に使えます。
改善後は、同じ指標を継続して確認し、変化がなければ施策の対象や運用方法を見直します。大きな制度変更を繰り返すよりも、測定→原因の確認→小さな修正→再測定という流れを続ける方が、施策が止まっている場所を把握しやすくなります。
ウェルビーイング施策は、制度を導入した時点ではなく、従業員が日常的に利用し、その結果をもとに改善できる状態になって初めて継続的な取り組みになります。前章で挙げた形骸化を防ぐには、経営側が目的を示すだけでなく、現場で使いやすい運用へ落とし込むことが欠かせません。従業員への伝え方、管理職の関わり方、利用状況の確認までを一つの流れとして設計します。
新しい制度を始めるとき、利用方法だけを案内しても、従業員には「なぜ会社がこれを始めるのか」が伝わりません。特に、サーベイや1on1のように従業員自身の意見や状態を共有する施策では、目的が見えないまま参加を求められると、回答や面談が形式的になりやすくなります。
例えば、社内コミュニケーションに課題があるため1on1を始めるのであれば、「月1回実施する」というルールだけでなく、日常業務では把握しにくい困りごとや今後の希望を共有する場として設けることまで伝えます。経営側が解決したい課題と、従業員にとってどのような意味があるのかを結び付けることで、施策の位置づけが理解しやすくなります。
制度の利用を促す前に、会社が何を変えようとしているのか、従業員にどのように関わってほしいのかを共有します。
ただし、経営メッセージを一度発信しただけでは、目的が全員に伝わるとは限りません。施策の開始時だけでなく、利用状況や改善内容を共有する機会にも目的を繰り返し示し、取り組みと会社の方針がつながっていることを伝えていきます。
目的を理解していても、利用するまでの手間が大きければ、施策は次第に使われなくなります。忙しい時期になるほど後回しにされやすいため、従業員が普段の仕事の流れの中で参加できる形にすることがポイントです。
例えば、1on1を勤務時間外に設定したり、サンクスカードを送るためだけに普段使わないシステムへログインしたりする運用では、担当者の意欲に左右されやすくなります。反対に、日常的な情報共有や業務連絡と同じ場所から制度を利用できれば、「制度を使うための特別な行動」を減らせます。
ウェルビーイング施策を定着させるには、従業員の善意や意欲に頼るのではなく、日常業務の中で無理なく参加できる運用にします。
施策ごとに新しいツールや手順を増やす必要がある場合は、その負担に見合う目的があるかも確認します。制度の内容だけでなく、従業員がどの場面で利用するのかまで考えることで、導入後の使われ方を想定しやすくなります。
従業員の日常に近い施策ほど、管理職の関わり方が運用を左右します。人事部が制度を設計しても、現場で部下と接する管理職が目的を理解していなければ、1on1が進捗確認だけになったり、制度の利用が後回しになったりします。
そのため、管理職には実施回数だけを求めるのではなく、施策の目的と現場で担う役割を共有します。1on1であれば、業務指示の時間とは分けて本人の状況を聞く、困りごとがあれば必要な支援へつなぐなど、どのような場として運用するのかをそろえておくと進めやすくなります。
管理職を巻き込む際は、「実施してください」で終わらせず、現場で何を確認し、どこまで対応するのかを具体的にします。
一方で、管理職だけに運用責任を負わせると負担が偏ります。現場から出た相談を人事部へ共有できる流れをつくる、進め方に迷ったときに相談できるようにするなど、人事と管理職が役割を分けて運用することも必要です。
施策を日常業務へ組み込んだ後は、実際に使われているかを継続して確認します。前章で整理したKPIを使えば、利用率だけでなく、従業員の状態や人材課題にどのような変化が出ているかまで追いやすくなります。
ここで見るべきなのは、単純な「利用者数の多さ」だけではありません。特定の部署だけ利用されていないのであれば、施策の必要性ではなく、勤務形態や管理職の運用方法に原因があるかもしれません。利用状況に差が出た理由を確認し、案内方法や参加方法を調整していきます。
施策を継続するためには、利用状況を把握し、使われにくい理由まで確認したうえで運用を変えていくことが欠かせません。
こうした周知・参加・運用・改善を続けるには、社内施策を一つの場所で運用できる仕組みを活用する方法もあります。TUNAGでは、情報発信に加えて、1on1やサンクスカードなどの社内制度を運用できるため、人的資本経営やウェルビーイングに関する取り組みを日常業務の中へ組み込む際の選択肢になります。
重要なのは、ツールを導入すること自体ではありません。自社の人材課題に合った制度を設計し、従業員が利用しやすい形で運用し、その結果を見ながら改善を続けられるかどうかで判断します。
人的資本経営の中でウェルビーイングを扱う際は、福利厚生や健康施策を増やすことから始めるのではなく、自社の経営課題と人材課題を起点に考えます。従業員の状態を把握し、改善したい課題に合った施策とKPIを決めたうえで、利用状況や人材面の変化を確認しながら見直していく流れが基本です。
こうした進め方を取ることで、「施策は実施しているが、何のために行っているのか分からない」という状態を避けやすくなります。経営側が目指す方向と、従業員が実際に働いている環境を結び付けて考えれば、健康、働き方、人間関係、成長、称賛などの中から、自社が優先して取り組むべきテーマも絞り込めます。
一方で、制度を設けただけでは、人的資本経営の実践にはつながりません。従業員へ目的を伝え、日常業務の中で無理なく参加できる形にし、管理職も含めて運用を続ける必要があります。そのうえで、施策の利用状況と従業員の状態を照らし合わせ、期待した変化が見られなければ、対象や内容、運用方法を見直します。
最初から多くの施策を始める必要はありません。まずは自社が抱えている経営課題を一つ選び、それに関係する人材課題と従業員の状態を整理してみてください。そこから優先する施策と確認する指標を決めることが、ウェルビーイングを人的資本経営の具体的な取り組みへつなげる第一歩になります。