インシデントとアクシデントは、被害の有無を軸に区別されることが多いものの、分野ごとに使われ方が異なります。医療・製造では、事故に至る前の事象をインシデント、実害が生じた事故をアクシデントとする一方、情報セキュリティや一部の医療現場では、実害の有無を問わず問題となる事象全体をインシデントと捉えます。
こうした違いを整理しないままでは、同じ出来事でも従業員によって報告の要否が分かれ、連絡や初動対応が遅れかねません。特に、複数の部門や職種が関わる企業では、一般的な意味だけでなく、自社の業務や業界に合った判断基準が必要です。
ぜひとも報告基準や緊急度、発生時の対応手順を見直す際にお役立てください。
インシデントは、業務や安全に影響を及ぼした、または今後問題へ発展する可能性がある出来事や事象を指します。アクシデントは、一般的に人の負傷、設備の損傷、情報の流出など、実際の被害が発生した事故を指す言葉です。ただし、両者の関係は分野や組織の報告基準によって変わります。
ヒヤリハットを含めた3つの用語の使われ方を整理すると、次のとおりです。
用語 | 基本的な意味 | 医療・製造などでの使われ方 | 情報セキュリティでの使われ方 |
ヒヤリハット | 事故には至らなかったものの、危険を感じた出来事 | 接触や転倒、誤投薬などにつながりかけた事象として報告する | 統一的な区分ではないが、誤操作や不審な挙動を社内でヒヤリハットとして扱う場合がある |
インシデント | 業務や安全へ影響した、または問題へ発展する可能性がある事象 | 実害のない事象を指す場合もあれば、影響の有無を問わず逸脱した事象全体を指す場合もある | 情報漏えい、不正アクセス、マルウェア感染、システム停止など、実害のある事故も含む |
アクシデント | 実際の被害や損害を伴う事故 | 医療事故や設備事故、労働災害などに相当する言葉として使われる場合がある | 独立した区分として使わず、事故もセキュリティインシデントに含めることが多い |
厚生労働省の医療安全に関する資料では、インシデントを「本来あるべき診療から逸脱した行為・事態」とし、障害発生の有無を問わない定義も示されています。一方、IPAはセキュリティインシデントを「セキュリティの事故・出来事」とし、情報漏えいやシステム停止なども対象に含めています。
インシデントを必ずアクシデントの一歩手前と捉えるのではなく、自社が属する分野の指針と社内規程に沿って判断することが大切です。
名称を使い分けるだけでは、従業員が取るべき行動は明確になりません。社内ルールでは、どの事象を報告するか、誰へ連絡するか、どの程度の影響で緊急対応を始めるかまで定めます。
インシデントとアクシデントの区分は、起きた出来事だけでなく、被害の有無、影響度、業界や組織の報告基準によって変わります。同じような事象でも、医療現場ではアクシデント、情報セキュリティ部門では重大なインシデントとして扱われる場合があります。
分野ごとの具体例と判断時の注意を整理すると、次のとおりです。
分野 | 発生した事象の例 | 一般的な扱い | 判断時の注意 |
医療・介護 | 誤薬を投与前に発見した | インシデントやヒヤリハットとして扱う場合がある | 患者・利用者への影響度と施設の報告基準を確認する |
医療・介護 | 誤薬によって治療が必要になった | アクシデントや医療事故として扱う場合がある | 影響が軽微でも、施設によってはインシデントの範囲に含める |
製造・物流 | 作業員と車両が接触しかけた | ヒヤリハットや安全上のインシデントとして扱う | 事故に至らなくても、再発可能性や危険度を確認する |
製造・物流 | 接触による負傷や設備損傷が発生した | 事故や労働災害として扱う | 負傷の程度、休業、物損、業務停止を確認する |
情報セキュリティ | 不審なアクセスや端末の紛失が発生した | セキュリティインシデントとして調査する | 被害が未確認でも、情報流出の可能性を確認する |
情報セキュリティ | 情報漏えいやマルウェア感染、システム停止が発生した | 重大なセキュリティインシデントとして扱う | 実害があってもアクシデントへ名称を変えるとは限らない |
一般業務 | 誤った資料を送信前に発見した | 社内のインシデントやヒヤリハットとして扱う場合がある | 情報の重要度と再発可能性を確認する |
一般業務 | 誤送信によって機密情報が外部へ流出した | 事故または情報セキュリティインシデントとして扱う | 顧客への影響や社外報告の要否を確認する |
製造現場などで用いられるヒヤリハットは、仕事中に「もう少しでけがをするところだった」と感じた事象を集め、災害防止へ生かす取り組みです。
一方、情報セキュリティでは、被害が確認されていない端末紛失と、情報流出が判明した事故の両方をインシデントとして扱います。名称ではなく、影響範囲や緊急度によって対応の優先順位を変えます。
インシデントかアクシデントかを判断するときは、実害の有無だけを確認するのでは不十分です。発生した影響と緊急性、業界や社内の基準を組み合わせて判断します。
最初に確認するのは、誰や何に影響が生じたかです。人の負傷、患者への健康影響、設備の破損、情報の流出、金銭的な損失、業務停止などが発生していないかを整理します。
被害が生じていなければ、医療・製造分野ではインシデントやヒヤリハットとして扱う場合があります。被害が発生していれば、アクシデント、事故、労働災害などに区分される可能性があります。
被害の有無は重要な判断材料ですが、それだけで用語や対応を決めないことがポイントです。
情報セキュリティのように、実害のある事象もインシデントに含める分野があります。まず事実を整理し、その後に自社の区分へ当てはめます。
同じ種類の事象でも、影響を受ける範囲によって対応の優先度は変わります。一人の従業員だけに影響するのか、顧客や取引先、複数の拠点へ広がる可能性があるのかを確認してください。
緊急性を判断する際は、次の項目を確認します。
名称が決まっていなくても、影響が大きい事象は初動対応と責任者への報告を先に進めます。
分類を確定するまで連絡を待つと、救護、設備停止、端末の隔離などが遅れるおそれがあります。
最後に、業界の指針や自社の報告基準へ当てはめます。医療機関では患者への影響度、製造業では負傷や設備損傷、情報セキュリティでは情報やシステムへの影響など、分野ごとに判断軸が異なります。
社内規程の区分が細かすぎると、現場の従業員が報告前に迷う原因になります。区分を判断できない場合は責任者へ連絡する、緊急性が高い事象は通常の申請経路を通さないなど、迷ったときの行動も決めてください。
現場の役割は用語を確定することではなく、確認した事実を早い段階で報告することです。
最終的な重大度や社外報告の要否は、安全管理、情報システム、法務などの担当部署が判断できる体制にします。
被害が確認されていないインシデントでも、放置すれば事故や業務停止へ発展する可能性があります。発生後の報告が遅れると、影響範囲を把握できず、顧客や行政機関への対応も後手に回ります。
事象の名称や現在の被害だけで報告の要否を決めず、今後広がる可能性を含めて判断する必要があります。
軽微に見える異常でも、原因を確認せずに業務を続ければ、より大きな事故へ発展する場合があります。製造現場で安全装置の異常を放置すれば、設備の損傷や作業員の負傷につながる可能性があります。
情報セキュリティでも、不審なアクセスや端末の異常を見逃すと、攻撃者の侵入範囲が広がり、情報流出やシステム停止へ至るおそれがあります。IPAは、業務停止が生じた場合に備えて、影響度に応じた復旧判断の基準と手順を整えるよう示しています。
小さな異常の段階で報告することは、被害が広がる前に業務を止めるか判断するためにも必要です。
ただし、すべての異常で業務全体を停止するわけではありません。安全への影響や情報流出の可能性を確認し、停止する範囲を責任者が判断します。
顧客情報の流出や納品の停止が起きたにもかかわらず、影響範囲や今後の対応を伝えられなければ、顧客や取引先は必要な対策を取れません。
発生直後は、すべての事実が判明していない場合もあります。その段階では、確認できている内容、調査中の項目、次回の報告予定を分けて伝えます。
社外への対応では、情報を急いで出すことと、未確認の内容を事実として伝えないことの両方が求められます。
部署ごとに異なる説明をしないよう、情報を集約する担当者と社外への発信者を決めておきます。
インシデントの内容によっては、行政機関への報告や本人への通知が必要です。個人データの漏えいなどが発生し、個人の権利利益を害するおそれがある場合は、個人情報保護委員会への報告と本人への通知が必要になります。
適用される法令や報告期限は、情報の種類、被害の内容、業種によって異なります。法的責任の有無を現場担当者だけで判断させず、法務や情報システム担当者へ連絡する条件を定めてください。
対応時には、原因調査や復旧だけでなく、問い合わせ窓口の設置、顧客への連絡、設備の修理、代替業務などにも人員と費用が必要です。
企業は事故の処理だけでなく、報告、顧客対応、復旧、再発防止までを想定して備える必要があります。
インシデントを発見したときは、原因を完全に特定する前に、人の安全確保と被害の拡大防止を優先します。その後、責任者や関係部署へ報告し、影響範囲を確認したうえで復旧へ進みます。
IPAは、セキュリティインシデントへの対応を「検知・初動対応」「報告・公表」「復旧・再発防止」の段階に整理しています。
対応段階 | 優先すること | 主な対応 |
1.検知・初動対応 | 人の安全と被害拡大の防止 | 救護、設備停止、端末隔離、事実の記録 |
2.報告 | 必要な担当者への情報共有 | 責任者、専門部署、経営層への連絡 |
3.復旧 | 安全を確認したうえで業務を再開 | 影響範囲の調査、原因の除去、段階的な再開 |
4.再発防止 | 同じ原因を残さない | 原因分析、手順変更、教育、対策の実施確認 |
負傷者がいる場合は救護を優先し、設備事故では周囲への立ち入りや機器の使用を止めます。情報セキュリティでは、感染が疑われる端末をネットワークから切り離すなど、影響が広がらないための対応を行う場合があります。
一方、専門知識がないまま端末を初期化したり、ログやファイルを削除したりすると、原因調査に必要な情報を失うおそれがあります。IPAも、従業員の初動対応を事前に定め、証拠保全を考慮するよう示しています。
初動対応の目的は、発見者が原因を断定することではなく、安全を守り、影響が広がるのを止めることです。
現場には、何を確認し、どこへ連絡し、どの操作を控えるかを具体的に伝えます。
報告時には、発生日時、場所、発見者、確認した事象、現時点の被害、実施済みの対応を伝えます。確認できていない内容は推測で補わず、調査中であることを明記してください。
責任者は、事象に応じて情報システム、法務、広報、人事、安全管理、経営層などへ情報を共有します。顧客、取引先、行政機関への報告が必要な場合は、期限と発信担当者も確認します。
すべての情報がそろうまで待たず、確認できた事実を早い段階で責任者へ伝えます。
ただし、社外へ公表する内容は、事実と未確認情報を分け、関係部署で確認してから発信します。
被害の拡大を抑え、影響範囲を確認した後に、停止した業務やシステムを復旧します。復旧する順番は、人の安全、顧客への影響、供給や売上への影響、代替手段の有無などから決めます。
システム障害やサイバー攻撃では、原因が残った状態で元の環境へ戻すと、同じ被害が繰り返される可能性があります。必要なログを保存し、原因となった設定や脆弱性への対応を行ったうえで復旧してください。
復旧では、早く業務へ戻すことだけでなく、同じ原因を残さないことも確認します。
すべての業務を一度に戻せない場合は、優先度の高い業務から段階的に再開します。
復旧後は、直接的な原因だけでなく、発見や報告が遅れた理由、手順が機能しなかった箇所、特定の担当者へ判断が集中していなかったかを振り返ります。
対策は、設備の修理、権限の変更、確認手順の見直し、研修など、判明した原因に合わせて決めます。担当者と期限を設定し、対策を実施した後に同じ問題が起きていないかも確認してください。
再発防止は対策を決めた時点で終わらせず、実施状況を確認するところまでを対応に含めます。
連絡先が分からなかった、必要な記録が残っていなかったといった問題が判明した場合は、報告手順そのものを更新します。
対応手順を作成しても、従業員が報告対象や連絡先を知らなければ、発生した事象を組織で把握できません。報告後の記録も、保管するだけでは同じ原因の発見に生かせません。
企業は、報告基準、連絡経路、記録、原因分析、手順の見直しまでを一つの流れとして整えます。
社内規程には、報告対象となる事象を具体例とともに記載します。情報セキュリティであれば、端末紛失、不審なアクセス、誤送信、マルウェア感染、システム停止などが候補です。
製造や物流では、安全装置の異常、設備の通常とは異なる動作、作業員と車両の接触未遂など、自社で起こり得る事象を挙げます。
人命への影響、情報の重要度、顧客や業務への影響範囲、緊急性を基準に区分し、どの段階で責任者へ連絡するかを決めます。
報告基準では、用語の意味だけでなく、どの事象を、どの緊急度で、誰へ伝えるかまで明確にします。
細かく区分しすぎると判断に時間がかかるため、迷った場合の連絡先も設けてください。
特定の個人だけを窓口にすると、担当者の異動、休日、夜間などに連絡が止まる可能性があります。主担当者と代替担当者、連絡がつかない場合の次の報告先を決めます。
連絡方法は、電話、チャット、メール、報告フォームなどから緊急度に応じて使い分けます。進行中の事故やサイバー攻撃を、担当者がメールを確認するまで待つ運用は避けてください。
緊急時の報告経路は、担当者が不在でも責任者まで情報が届く形にします。
連絡先は、社内ポータルや業務マニュアルなど、従業員がすぐに確認できる場所へ掲載します。
発生した事象を口頭や個人のメールだけで共有すると、後から同じ原因や傾向を確認できません。報告内容は一か所へ集約し、発生日時、場所、事象の内容、影響範囲、初動対応、原因、再発防止策を記録します。
記録時には、確認できた事実と担当者の推測を分けてください。原因分析でも、担当者の不注意だけを結論にせず、手順、設備、権限、確認体制などを確認します。
対応履歴は事故報告を保管するだけでなく、繰り返している事象や実施されていない対策を見つけるために使います。
ただし、故意の不正や重大な規則違反への対応と、再発防止を目的とした原因分析は分けて扱います。
担当者の異動、拠点の新設、システム変更、外部サービスの導入によって、報告先や対応方法が実態と合わなくなる場合があります。
訓練では、連絡網が機能するか、必要な情報を集められるか、責任者が不在でも判断を引き継げるかを確認します。実施頻度を一律に決めるのではなく、自社のリスクや組織の変化に応じて設定してください。
IPAも、想定するインシデントに応じた初動対応や情報共有、復旧体制を事前に整えるよう示しています。
手順の見直しは形式的に行わず、訓練や実際の事故で判明した問題を反映する機会にします。
更新後は変更点を関係者へ周知し、従業員が最新版を確認できる保管場所を一つにまとめます。
社内の報告・管理体制を見直す際は、次の項目を確認してください。
インシデントとアクシデントは、一般的には実害の有無で区別されます。ただし、医療・製造・情報セキュリティでは用語の範囲が異なるため、すべての事象を一律の基準だけで分類することはできません。
企業が優先すべきなのは、名称を細かく使い分けることよりも、どの事象を報告し、誰が初動を判断するかを明確にすることです。具体的な報告対象、緊急度、連絡先、最初に取る行動を定めておけば、従業員が異常を発見した段階で組織として対応しやすくなります。
まずは、自社の規程やマニュアルを開き、端末の紛失、誤送信、設備の異常、けがにつながりかけた出来事などが報告対象として書かれているか確認してください。記載がなければ、自社で起こり得る事象を一つ選び、発見者が連絡する相手と最初に取る行動を決めるところから始めましょう。