つながらない権利とは?2026年の法改正議論を背景に、リスクと対策を解説
退勤後や休日であっても、業務連絡が届く環境は珍しくありません。メールやビジネスチャットの普及によって、仕事と私生活の境界は以前より曖昧になりやすくなっています。
一方で、勤務時間外の連絡が常態化すると、従業員の心身に負担がかかりやすくなります。こうした背景から注目されているのが「つながらない権利」です。働く人が、勤務時間外に業務対応から距離を置ける状態をどう確保するかは、個人の問題ではなく、企業が向き合うべき労務管理の課題と言えます。
本記事では、つながらない権利の意味や企業が向き合うべき理由、対応を怠った場合のリスクについて解説します。
【時間がない方のためのポイントまとめ!】
- つながらない権利は、仕事を意識しなくても良い時間を確保し、心身の不調や離職リスクを下げるための考え方
- 日本でも勤務時間外の連絡やつながらない権利が制度論点として議論されている
- 業務時間外でも連絡を確認してしまう人が多く、ルールと運用の整備と周知が欠かせない
つながらない権利とは
近年、働き方の変化や業務のデジタル化により、勤務時間外でも仕事とつながり続ける状態が一般的になりつつあります。こうした状況のなかで注目されているのがつながらない権利です。
まずは、つながらない権利がどのような意味を持ち、なぜ重要とされているのかを解説します。
つながらない権利の意味と重要性
つながらない権利とは、勤務時間外(休日や休暇日を含む)に、仕事の連絡に対応しないことを選べる状態を指します。
単に連絡が来ない状態だけではなく、連絡が届いても、見ない・返信しなくてよく、評価や関係性で不利益が生じないというルールまで含みます。
勤務時間外に仕事の連絡が続くと、頭の切り替えが難しくなります。その結果、疲労感が蓄積し、勤務時間の集中力や判断力に影響が出るケースも見られます。従業員の健康管理だけでなく、業務の質や労務管理にも関わる問題です。
各国で進むつながらない権利をめぐる議論
つながらない権利に関する議論は、日本に限ったものではありません。情報通信技術の発展に伴い、各国で制度化やルール整備の検討が進められています。
フランスでは、2016年の労働法典改正によって、従業員が勤務時間外に電子メールなどへ返信しなくてよいとする考え方が示されました。ただし、企業に対して具体的な取り決めを一律に義務付ける制度ではなく、労使協議を通じて対応を検討する仕組みが採られています。
(出典:Article L. 2242-17-7° du Code du travail)
また、スペインやイタリアでは、関連する法律や制度の中で部分的に言及されているにとどまっています。アメリカやドイツでも、勤務時間外の連絡をめぐる問題意識は共有されているものの、制度化されているわけではありません。
このように、各国の法制度や働き方の違いによって、つながらない権利の位置づけや対応の仕方はさまざまです。ただし、勤務時間外の業務連絡がもたらす影響については、労働における共通の論点として認識されています。
参照:第204回労働政策審議会労働条件分科会(資料)|厚生労働省「資料No.2 労働時間法制の具体的課題について」p.51
過度な勤務時間外の連絡が裁判に発展した事例も
業務時間外の連絡が問題となる場面は、すでに日本でも見られています。
過去には、上司が部下に対して、深夜帯や休日を含めて業務報告や対応を繰り返し求めていたことにより、裁判に発展したケースがありました。この事例では、連絡の内容自体よりも、時間帯を問わず連絡が続いていたことや、対応を断りにくい立場にあったことといった事情が重視され、業務の適正な範囲を超え、職場環境を悪化させる行為に当たると判断されています。
このようなケースは、つながらない権利が直接論点になったものではありません。しかし、業務時間外の連絡が過度になると、結果としてパワハラや安全配慮義務の問題に発展する可能性を示しています。
極端な例ではあるものの、連絡の頻度や時間帯、受け手の立場によっては、企業側の管理のあり方が問われるリスクが現実に存在すると言えるでしょう。
つながらない権利の侵害につながる具体的なケースとは?
つながらない権利は、明確な強制がなくても侵害されることがあります。多くの場合、悪意ではなく善意や慣習、業務上の都合が積み重なった結果として、仕事とプライベートの境目が曖昧になることはよくあるケースです。
ここでは、企業や現場で起こりやすい具体的なケースを解説します。
「念のため」の連絡が時間外に届く
「念のため共有です」「急ぎではありませんが」といった前置きであっても、勤務時間外に業務連絡が届くと、受け手は内容を確認せざるを得なくなります。送り手に即時対応を求める意図がなくても、通知が届いた時点で仕事への注意が呼び戻されるためです。
このような連絡が続くと、確認しておかないことを不安に感じる従業員が増え、結果として時間外対応が常態化しやすくなります。
上司や管理職が時間外に頻繁に反応している
上司が夜間や休日にメールやチャットへ頻繁に返信している職場では、部下も同様の行動を取るべきだと感じやすくなります。明確な指示がなくても、上司の行動そのものが暗黙の基準として受け取られてしまうためです。
返信は翌営業日でよいと伝えていても、実際の行動が伴っていなければ、現場では即時対応が求められていると解釈されがちです。
緊急対応の範囲が定義されていない
業務上、緊急対応が必要な場面があること自体は珍しくありません。しかし、緊急事態の定義や連絡手段などの基準が定まっていない場合、結果としてすべての連絡が緊急扱いになってしまいます。
このようなケースでは、従業員は勤務時間外であっても常に連絡を確認する必要が生じ、仕事から離れる時間を確保しにくくなります。
私用のチャットツールで業務連絡をしている
私用のSNSや個人向けチャットツールで業務連絡を行っている場合、プライベートな通知と仕事の連絡が混在します。その結果、業務時間外であっても仕事の情報が目に入りやすく、切り替えが難しくなります。
また、通知をオフにすると私用の連絡にも支障が出るため、業務連絡だけを切り離せない構造になりやすい点も問題です。
連絡への対応が評価や人間関係に影響している
明文化されたルールがないだけではなく、業務時間外でも早く返す人が評価されたり、対応しないと協調性がないといった空気がある場合、つながらない権利は形骸化します。
このような環境では、対応有無が個人の裁量ではなくなり、強制力が働くため、時間外対応が続くおそれがあります。
企業がつながらない権利に向き合うべき理由
つながらない権利は、個人の働き方や意識の問題として捉えられがちです。しかし実際には、企業としてどのように対応するかが問われる段階に入っています。
ここでは、制度面や実態調査を踏まえながら、なぜ企業として向き合う必要があるのかを見ていきます。
次の労働基準法改正により努力義務で終わらない可能性がある
厚生労働省は、早ければ2026年にも労働基準法を改正する方針を示しています。実現すれば、約40年ぶりとなる大きな見直しです。長時間労働や多様な働き方への対応が議論されており、その中で勤務時間の考え方や、労働と私生活の線引きが改めて問われ、つながらない権利も論点のひとつになっています。
現時点では、つながらない権利が明確に義務化されるかどうかは確定していません。ただし、厚生労働省の審議会では、勤務時間外の連絡や対応のあり方について継続的に議論が行われています。
ここで重要なのは、仮に法文上は努力義務にとどまったとしても、企業側の説明責任が軽くなるわけではない点です。40年ぶりの法改正という節目において、企業がどのような考え方で労務管理を行っているかは、これまで以上に問われやすくなります。
社内ルールや運用方針が存在せず、現場の判断に任せている状態では、トラブルが発生した際に企業としての統一見解を示すことが難しくなります。そのため、法改正の内容が確定する前であっても、企業としてのスタンスや基準を整理しておくのがよいでしょう。
勤務時間外の連絡は、企業ルールと個人判断に依存している現状
実際に、企業は勤務時間外の連絡をどのように扱い、従業員はそれをどう受け止めているのでしょうか。
PwCコンサルティング合同会社が2024年に実施し、厚生労働省が公表した「労働時間制度等に関するアンケート調査」の資料では、勤務時間外や休日の社内連絡について、企業側のルール整備状況が示されています。
調査によると、勤務時間外や休日の社内連絡について、「特段ルール等は整備しておらず、現場に任せている」と回答した企業が36.8%と最も多くなっています。一方で、「災害時等の緊急連絡を除いて連絡しない」としている企業は29.4%、「翌営業日に対応が必要など、急を要する業務に関する連絡のみ認めている」は27.1%など、おおまかな方針を定めている企業も一定数ある模様です。
勤務時間外や休日の社内連絡に関するルール | 割合 |
|---|---|
特段ルール等は整備しておらず、現場に任せている | 36.7% |
勤務時間外や休日には、災害時等の緊急連絡を除いて連絡しないこととしている | 29.6% |
翌営業日に対応が必要など、急を要する業務に関する連絡のみ認めている | 26.5% |
急を要する業務に関しないものでも連絡が取れるようにしている | 16.8% |
勤務時間外や休日には、社内システムにアクセスさせないようにしている | 2.2% |
その他のルールを設定している(例:緊急連絡網を整備(一斉メール等)、時間を固定して緊急時以外は連絡禁止としている) | 1.4% |
無回答 | 4.2% |
(n=3,441、複数回答)
表1:厚生労働省「労働時間制度等に関するアンケート調査」(PwCコンサルティング合同会社実施)p.10をもとに、株式会社スタメンが編集・作成
同調査では、労働者側の受け止め方も明らかになっています。勤務時間外の社内連絡について、「対応したくない」と答えた人は38.0%、「できれば対応したくないが、やむを得ない」は8.2%でした。
勤務時間外の社内連絡についてどのように考えるか | 割合 |
|---|---|
積極的に対応したい | 0.4% |
できれば対応したくないが、やむを得ない | 8.2% |
対応したくない | 38.0% |
その他(例:案件の重要度によって対応要否が分かれる、対応する・しないの裁量があるため対応しなくてよい) | 53.5% |
(n=3,000、単一回答)
表2:厚生労働省「労働時間制度等に関するアンケート調査」(PwCコンサルティング合同会社実施)p.40をもとに、株式会社スタメンが編集・作成
連絡が実際に発生しているかどうかとは別に、勤務時間外の対応そのものに負担を感じている人が一定数存在していることがうかがえます。勤務時間外の連絡は現場任せにするほど、受け止め方や部署ごとの運用の差が出やすくなりそうです。
出典:労働基準関係法制研究会 第1回資料|厚生労働省「労働時間制度等に関するアンケート調査結果について(速報値)」p.10、40
業務時間外でも連絡の内容を確認してしまう人は9割超
勤務時間外の連絡については、個人の意識の問題と捉えられがちですが、そう単純ではありません。
kubell株式会社が実施した「仕事で利用しているチャットに関する実態・意識調査」によると、9割を超える人が業務時間外であってもビジネスチャットの内容を確認していることが分かっています。通知が届いた場合、返信はしなくても内容だけは見てしまう人が多い状況です。
この結果から、確認するつもりがなかったとしても、通知や未読表示があることで、心理的に仕事へ引き戻されてしまう可能性があることが読み取れます。こうした行動は、本人の意思だけで制御することが難しい側面があります。だからこそ、個人の工夫に任せるのではなく、企業側が前提となる環境やルールを整える必要があるでしょう。
出典:ビジネスチャット「Chatwork」、 “仕事で利用しているチャットに関する実態・意識調査”を公開 | 株式会社kubell
つながらない権利の侵害によるリスク
勤務時間外の連絡を放置したままにしておくと、現場の負担が積み重なるだけでなく、組織全体にもさまざまな影響が及びます。これらの影響は、個人の不調にとどまらず、経営リスクとして表面化する可能性があります。
具体的にどのようなリスクがあるのか、代表的なものを整理します。
労務管理における説明責任が問われる
つながらない権利が主張された際、企業はまず勤務時間外の連絡についての運用ルールや考え方を説明する必要があります。社内ルールが存在しない、あるいは現場判断に委ねている場合、企業として統一した見解を示すことが難しくなります。
その結果、個別対応が続き、判断基準が曖昧なまま運用されることで、さらなる不満や不信感を招く可能性があります。
メンタル不調や休職・離職の増加する
勤務時間外も仕事とつながり続ける状態は、精神的な負担を大きくします。特に若手や中堅層は、断り方が分からず、無理を重ねてしまう傾向があります。
メンタル不調による休職や離職が増えると、採用や引き継ぎ、教育にかかるコストが増加します。人員の入れ替わりが多くなることで、組織全体の安定性も損なわれます。
生産性が低下する
業務時間外の連絡が頻繁に発生すると、十分に休息を取ることが難しくなります。睡眠の質が下がり、日中の集中力や判断力が落ちることもあります。
また、即時返信が前提になると、深く考える時間が減り、コミュニケーションの量は増えても業務の質が下がるケースが見られます。連絡が速いことと、生産性が高いことは必ずしも一致しません。
ハラスメントや残業認定と判断される
勤務時間外の連絡が常態化すると、受け手によっては強い圧力と感じることがあります。状況次第では、ハラスメントとして問題になる可能性もあります。
また、業務時間外の対応が事実上の業務と判断されると、残業として扱われるリスクもあります。企業としては、どこまでが業務で、どこからが任意なのかを説明できる状態を整えておく必要があります。
つながらない権利を侵害しないための注意点
つながらない権利を守るためには、従業員への呼びかけだけでは不十分です。なぜなら、働き方や連絡の仕方は個人の意識だけでは変えづらく、企業としてルールや運用を明示することで、従業員の行動や意識が揃いやすくなるからです。
ここでは、企業が押さえておきたい基本的な注意点を、運用の観点から解説します。
勤務時間外連絡に関する社内ルールを明確にする
まず必要なのは、勤務時間外の連絡に関する基本方針を定めることです。原則として連絡は行わないこと、返信は翌営業日で問題ないことを明文化します。
あわせて、例外となるケースも定義するとよいでしょう。たとえば、システム障害や重大な顧客トラブルなど、緊急性の高い業務に限定します。例外を決めておくことで、現場判断によるブレを防げます。
管理職や社員に連絡の仕方・考え方を教育する
つながらない権利の侵害は、悪意よりも無自覚から起こることがほとんどです。そのため、管理職への共有が欠かせません。
夜間に連絡を送るだけで心理的な負担になることや、「確認してください」といった表現が強制に受け取られる可能性があることを具体例で伝えます。あわせて、社員側にも判断基準を共有することで、不安を減らせます。
時間外に確認しなくてよいツール運用に切り替える
社内ルールを定めても、業務連絡の通知が常に届く環境では、実態はなかなか変わりません。時間外は確認しなくてよい状態を、ツールの使い方として整えることが重要です。
そのためには、連絡の性質に応じて対応を分ける運用が有効です。すぐに対応が必要な連絡と、共有しておけばよい情報を分けて扱うことで、すべての連絡に即時反応する必要がなくなります。後から確認できる情報が増えれば、業務時間外に常に仕事を意識する前提を見直しやすくなります。
つながらない権利を守り、企業ガバナンスを強化する
つながらない権利への対応は、従業員への配慮にとどまらず、企業としての統制やリスク管理とも深く関係しています。
特に、勤務時間外の連絡が慣習として定着している場合、個人の努力や意識だけで是正することは難しく、ルール・教育・運用といった組織としての対応が求められます。
こうした背景を踏まえると、つながらない権利を守るためには、個別の注意喚起にとどまらず、企業ガバナンスの観点から仕組みを整えることが重要になるでしょう。
一部の企業では社内ルールの整備が進む
採用管理システムを中心にHR Tech事業を展開するイグナイトアイ株式会社(現:Thinkings株式会社)では、勤務時間外の連絡を前提としない働き方を推進しています。
- 長期休暇に入る前に、Slackやメールを確認できないことを事前に明示。社外からの連絡については、自動返信で不在期間と緊急連絡先を案内
- フレックス制度を活用し、カレンダー上で各自の勤務時間を共有。業務時間外にミーティングを設定しようとするとアラートが出る仕組みを導入
- Slackのステータスを活用し、連絡を受ける側だけでなく、送る側にも対応時間外であることが伝わる状態を整備
こうした取り組みの背景には、企業は一社だけで完結する存在ではなく、顧客や取引先など多くの関係者とのつながりの中で成り立っているという考え方があります。だからこそ、つながらない権利も一方的に遮断するものではなく、社内外のステークホルダーと密に連携したうえで成り立たせることが重視されています。
社内の情報共有のあり方を見直そう
つながらない権利は、従業員の心身の安全性を守るために必要な権利です。企業としても、メンタル不調や離職、ハラスメント認定といったリスクや生産性低下の可能性が潜んでおり、対策が求められます。
特に注意したいのが、私用のSNSや個人向けチャットツールでの業務連絡です。プライベートな通知と業務連絡が混在すると、業務時間外であっても仕事の情報が目に入りやすく、心理的に切り替えにくくなります。
社内アプリを使えば、業務用の通知だけをまとめて管理でき、時間帯によって通知を切るといった運用もしやすくなります。業務時間外は見なくてよい状態を、仕組みとして作れる点が大きな違いです。
株式会社スタメンが開発・運営する情報共有アプリ「TUNAG」のように、蓄積して残したい情報は掲示板、タイムリーな連絡は社内チャットと使い分けられる仕組みを活用すれば、業務時間外に「見たらすぐ返すこと」を前提としない情報共有が可能になります。
プライベートの連絡とも分離できるため、タイムリーな連絡が発生する場合でも、アプリ全体の通知をオフにしたり、チャンネルごとに一時的にミュートしたりできます。たとえば、緊急連絡用のチャンネル以外をミュートにするといった運用を行えば、業務時間外に対応すべき範囲を整理しやすくなるでしょう。
つながらない権利を個人の努力に委ねないための、社内の情報共有のルールを見直すことが重要です。社内教育や使用ツールの見直しと組み合わせることで、企業として一貫した対応ができるよう整備していきましょう。













